息苦しさというエネルギー源
自由でのびのびとしている。
しかし、とても息苦しい。
排気ガスや喫煙者の多さ、湿度の高い気候による身体的な息苦しさもさることながら
ここで生きること、働くことへの葛藤やインドネシア国民として自国への否定と肯定の中にいる精神的な息苦しさを最近感じるようになった。
そして興味深いのは
みんなその息苦しさをエネルギーにしているように思う。
生きるエネルギー
働くエネルギー
創造するエネルギー
クリエイティブな人たちと時間を共にすることが多いので
その創造へのパッションや根っこにその息苦しさがあることを感じる。
ここはとてもややこしい国だ。
宗教、民族、外交関係、内政
一つ一つ見てもとても複雑で、さらに全てが確実に絡み合っている。
そのややこしさが生んだこのカオスな雰囲気は
ツーリストには新鮮で刺激的で、とても面白い。
私もそうだ。
とても興味深いし、好奇心が止まらない。
でも、ポジティブな感情だけではなくなってきた。
街と人が抱える息ぐるしさについて考え始めた。
私はすでに「100%ツーリスト」ではなくなったように思う。
おそらく居候させてもらっている友人が
とても繊細でたくさんのことを考えている人で
彼と普段一緒にいることも大きく影響している。
彼の場合
チャイニーズ・インドネシアンであること
カトリックであること
ジャカルタ生まれシドニー育ち、根っからのシティボーイであること
グラフィックデザイナーであること
シングルであること
といったアイデンティティーを持っていて
その中で息苦しさや怒りを感じることがるようだ。
もちろん世界中どこでも人間の
アイデンティティーはバラバラで
その中で葛藤する。
ただここは
なんというか、、、、
たっくさんの要素がアイデンティティーを構築し
その要素は時に絶対に相容れないということが起きる。
ふと自分について考える。
自分の民族性について深く考えたことがあったかな。
宗教についてよく考えたことがあったかな。
自分を構築している教育や環境についてしっかり考えたことがあったかな。
年齢、歳を重ねながら生きていくということを常に意識していたかな。
こう考えると
「何も考えずに生きてきた」ような気がしてくる。
もちろんそんなことはない。
環境や状況が異なれば、考えることが異なるのは当たり前だ。
ただ「自分が考えてこなかったこと」は新鮮で、理解するのが難しくて
「ふうん、そうなのか、、。」と流せばいいようなことも
全部を全部一回お腹に入れて消化したくなる。
今私のお腹は消化不良だ。
ああ、だからこんなに息苦しいんだな最近。
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